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2009年5月29日 (金)

黄金山のコマーシャル

広島市南区

これまでに何度も登った黄金山ですが、秋になるとこの山から麦畑が黄金色に輝いて見えることからその名がついたと言われています。

このページに南区のコマーシャルがついています。
http://www.city.hiroshima.jp/minami/gaido/dennsetu/ougon/ougon.html

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2009年5月26日 (火)

火垂るの墓の撮影地

兵庫県西脇市

昨年の7月に公開された、『火垂るの墓』は、兵庫県各地で撮影されましたが、重要な場面のいくつかは西脇市で撮影されています。

ここはその一つ、秋谷池です。

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2009年5月22日 (金)

万葉の里 浪漫の道10 歩兵第40連隊

鳥取市立川町

歩兵第40聯隊は明治29年に大阪で結成され、明治30年に鳥取に移りました。郷土聯隊として、鳥取、岡山、兵庫県から兵士を集めました。

歩兵第40聯隊の建物は、戦後、鳥取大学の学舎として使われ、現在は鳥取三洋電機の所有となっています。
建物は老朽化していますが、歴史の生き証人として、後世に戦争体験を伝えていくことでしょう。

https://www.nnn.co.jp/tokusyu/sengo61/060810.html

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2009年5月19日 (火)

万葉の里 浪漫の道09 八百比丘尼

鳥取市にて

八百比丘尼の伝説は、福井県の小浜市が発祥の地であると言われていますが、鳥取市の面影山にも八百比丘尼屋敷跡があります。

八百比丘尼伝説は、16歳の娘が、誤って人魚の肉を食べてしまい、永遠の命を得ると言うものです。不老不死となった、八百比丘尼は、肉親や知り合いを亡くし、世をはかなんで、隠遁生活を送りました。その地がこの面影山であるというのです。

手塚治虫の『火の鳥』異形編には八百比丘尼が出てきます。また、未来編では八百比丘尼と同じように永遠の命を得て苦しむ男性が描かれています。これらの話は、浦島太郎の話と根がつながっているような気がします。

2009年5月15日 (金)

鳥取自動車道

鳥取市にて

鳥取ー京都間を結ぶ「スーパーはくと」にライバルが現れそうです。
それは高速バスです。鳥取自動車道が全通すれば、鳥取ー大阪間は2時間半程度で結ばれます。そうなれば、スーパーはくとには及ばないにしても、高速バスの料金の安さは魅力的です。Img_1578157_49373222_0

2009年5月12日 (火)

万葉の里 浪漫の道08 因幡国分寺

鳥取市国府町

聖武天皇は、天平13年(741年)鎮護国家の名目で、各国に
国分寺(金光明四天王護国の寺)
国分尼寺(法華滅罪の寺:法華寺)
を置きました。
奈良の東大寺が全国の国分寺の総本山でした。

因幡の国の国分寺は江戸時代に黄檗宗に改宗していますが、現在も残っています。かつては、東西の塔の他、七堂伽藍があったと考えられています。Img_1578157_49262149_0 Img_1578157_49262149_1

2009年5月 8日 (金)

京都市北区にて

臨済宗大徳寺派の大本山・大徳寺の三門です。
お寺の門は普通山門と書くのですが、主に禅宗寺院では三門と書きます。

三門は貪瞋癡の三毒から解脱する門と言われています。
私たちはとかく
貪(とん:むさぼり)が多く、足ることを知りません。欲望の海に溺れてしまいます。

瞋(じん:いかり)怒りの炎で、我が身ばかりでなく他人も物も焼き尽くしてしまいます。

癡(ち:ぐち)どうにもならないことを無理矢理通そうとします。わがままで自己中心な存在です。

この三毒から解脱するのが大切な修行であるというわけです。

さて、大徳寺の三門ですが、この2階部分は、千利休が造りました。そして、そこに千利休自身の木像を安置したのです。そのことに対して、関白秀吉の怒りをかい、秀吉に切腹を命じられたと言います。千利休の突然の切腹の理由が何なのか、はっきりとわかっていませんが、現在では、大徳寺の木像の件が理由であろうと考えられています。

2009年5月 5日 (火)

万葉の里 浪漫の道07 因幡国衙跡

鳥取市国府町

全国に国府と呼ばれているところはたくさんありますが、現在の県庁にあたる国衙(こくが)がどこにあったのか、よくわかっていないところが多いです。
例えば、安芸の国の国衙は安芸郡府中町にあったとされていましたが、東広島市西条地区にあったという説もあります。

さて、因幡の国の国衙跡ははっきりしているということだったのですが、近年、それが疑問視されてきています。本当の国衙はこれまで国衙だと思われていた場所より500メートルほど西にあると考えられています。

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2009年5月 1日 (金)

天龍寺

京都市右京区

嵯峨野の天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山で、室町時代には京都五山の筆頭に挙げられていました。
この寺を開いた(開山)のは夢窓疎石(夢窓国師)ですが、この寺を建てることを勧めた(開基)のは足利尊氏です。足利尊氏は後醍醐天皇を吉野(南朝)に追いやり、後醍醐天皇は吉野で崩御(亡くなる)しますが、足利尊氏は後醍醐天皇の菩提を弔うために天龍寺を建てたのでした。

この寺は曹源池を中心とする庭園と、法堂(はっとう)の天井に描かれた雲龍図で有名です。

この寺を造るための貿易を行った船を天龍寺船といいます。

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