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2011年8月30日 (火)

大山(だいせん:標高1710m:その3)

大山

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大山8合目は標高1550mのところにあります。

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8合目を過ぎると、ダイセンキャラボクの純林の中の木道を歩いていきます。

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すぐに分岐があります。

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ダイセンキャラボクの純林です。

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小ピーク別山です。

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登山道は緩やかになってきました。

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大山9合目(標高1640m)です。

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山頂は近いです。

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山頂が見えます。

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山頂避難小屋です。

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山頂(標高1710m)に着きました。

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剣ヶ峰(標高1729m)への縦走路ですが、現在は通行禁止になっています。

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隠岐が見えます。

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大山

2011年8月26日 (金)

大山(だいせん:標高1710m:その2)

大山

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大山5合目には、山の神の祠があります。

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山の神さんの説明です。

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5合目と6合目は多くの人の休憩場所になっています。

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5合目から少し登ると行者谷分岐があります。

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6合目(標高1340m)に到着しました。

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6合目付近からの展望はとてもいいです。

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6合目には避難小屋があります。

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6合目からの三鈷峰、ユートピア方面の展望です。

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6合目からの雄大な北壁の展望です。

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7合目(標高1440m)付近の登りはかなりきついです。

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7合目から8合目までは、かなり間隔が開いているように感じましたが、実際のところそうでした。

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三鈷峰より高度があがりました。

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このあたりが、夏山登山道の最大の難関です。

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下からでもよく目立つケルンが立っています。

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しだいに森林限界に近づいてきました。大山の森林限界は、1500m台で、北アルプスのそれよりも500m程度低いです。

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大山8合目に着きました。

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大山

2011年8月23日 (火)

大山(だいせん:標高1710m:その1)

大山

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大山は、中国地方の最高峰で、鳥取県西伯郡と日野郡にまたがる独立峰です。

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南光河原そして金門です。

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登山道に向かって緩やかに歩いて行きます。(登山口の標高790m)

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ここから登山口に合流します。

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幅の広い道を少し歩けば大山1合目(標高880m)に着きます。

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1合目を過ぎると、少し急になってきました。

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1合目から約10分で2合目(970m)に着きます。

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大山の何合目という表示は、登山口から山頂までを標高で10等分してあります。

実際には標高で92m間隔になるはずですが、間隔の広いところと狭いところがあります。

2合目を過ぎると、グリンシャワーの道を快適に歩いていきます。

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3合目(標高1060m)です。

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道はかなり急になってきます。

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4合目(標高1150m)です。

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大山の丸太階段がよく整備されています。ただ、大またになりやすくて、疲れやすいので、小またで歩くように注意が必要です。

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大山5合目(標高1240m)です。

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大山

2011年8月19日 (金)

熊山

熊山

岡山県赤磐市

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岡山県にある熊山に登ってきました。

熊山は和気アルプス(和気富士)の南西約4kmのところにあります。

JR熊山駅から出発です。

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何ともよくわかる登山口です。
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登山道が荒れているなんてとんでもない。よく整備されていて、快適に歩けました。
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石畳の道が残っていました。
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一本松で稜線に出ました。
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ミツバツツジが満開でした。
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そして桜も満開でした。
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蹄岩です。この熊山は太平記に出てくる児島高徳の挙兵の地です。その児島高徳の馬がつけた足跡だと言われています(??)

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5合目の展望台です。
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赤松峠(標高約460m)です。
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8合目です。
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龍神二井戸(二龍の井戸です。)雌雄の龍の井戸です。

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熊山神社です。大国主の命を祀っています。
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そもそも、熊山とは、「熊野の山」という意味で、かつては修験道の山でした。この山には帝釈山霊山寺という大きなお寺がありましたが、現在は熊山神社が残されています。
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天然記念物の大杉です。

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これが、謎のピラミッドです。

これは、ストゥーパ(仏舎利塔)で、簡単に言えば、石でできた三重の塔です。
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展望台からは、瀬戸内海の島々を望むことができます。
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五輪様が、かつて大きなお寺があったことを偲ばせます。
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猿田彦神社です。東中国には猿田彦にまつわる話が多いです。
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熊山

2011年8月16日 (火)

十方山(じっぽうざん:標高1318m)

十方山

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藤本新道から、丸子頭、十方山に登り、

旧羅漢山、恐羅漢山にも登ってきました。

二軒小屋から出発です。

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いつもなら、十方山に登るには左を行くのですが、今回は、右を行きました。
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藤本新道を行きました。十方山までは、こんなにかかりません。2時間あれば登れます。
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地主さんの協力でできた、便利な登山道です。これまでは、内黒峠まで大回りして、丸子頭に行っていました。
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いきなりの超急登でした。
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この登山道の旬は4月です。なぜなら、広葉樹が葉をつけていないため、展望がいいのです。
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従来の登山道と出合いました。
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とても快適な登山道です。4月が旬です。
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丸子頭(まるこがしらー標高1236m)に着きました。
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遠くから見ると、名前の通り丸く、きれいな形をした山です。
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左が、奥三ツ倉で右が十方山です。
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右が恐羅漢山で、左が旧羅漢山です。5月になると、見えなくなります。
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快適すぎる登山道です。
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前三ツ倉(標高1312m)です。那須分かれは、戸河内に降りる道と分岐します。
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前三ツ倉と奥三ツ倉の間に中三ツ倉がありますが、はっきりしないピークです。

奥三倉(標高1322m)です。倉には岩山という意味があるそうです。
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十方山が見えてきました。もうすぐです。
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論所という水場です。きれいな水が流れています。この水場の水利権を巡って、争いが起きたので、その名前があります。
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十方山山頂です。
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吉和冠山の形がよくわかります。その右に寂地山が見えます。
広島、島根、山口の三県が見渡せます。
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十方山からの展望は西中国一と言われています。

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名残惜しいですが、十方山をあとにします。

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丸子頭の尾根の明るさとは逆に湿っぽく陰気な樹林帯の道を下りていきます。

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多くの水の流れる川のそばを登山道が通っている箇所があります。

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この川の水は、広島市内を流れる太田川の源流の一つになります。十方山は大量の水を供給している母なる山なのです。

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橋が壊れているところもありました。足を挟まれないようにクワバラクワバラ。

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さっき登った丸子頭が見えます。

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獅子ヶ谷登山口まで降りました。十方山の登山口で標高980mです。

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林道を少し歩くと、水越峠登山口があります。旧羅漢山の登山口です。

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丸子頭が形を変えて見えます。

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心臓破りの超急登が待ち受けていました。

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島根県との県境尾根に出ると、比較的平坦になってきました。

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旧羅漢山に着きました。三笠宮殿下の登頂記念碑です。

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山頂には大岩があります。

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名前のついている山としては、広島・島根両県とも第3位の標高です。

ちなみに、第1位は両県とも恐羅漢山、第2位は広島県が吉和冠山で、島根県が山口県境の寂地山です。

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恐羅漢山に向かって歩いて行きます。

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鞍部は湿っぽいですが、山の奥深さを感じます。一種の神々しさを感じます。

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途中、展望の良い場所がありました。藤本新道から丸子頭にいたる稜線が見えます。

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大岩が見えてきました。この向こうが恐羅漢山の山頂です。

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恐羅漢山の山頂です。今年の4月には4回来ました。

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広島県側の展望は最高です。

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島根県側の展望は今一つですが。

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恐羅漢スキー場を降りていきます。

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十方山

2011年8月12日 (金)

氷ノ山

氷ノ山

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鳥取県若桜町・兵庫県養父市

仙谷を上り詰め、稜線出合(仙谷分かれ)に出ました。

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こしき岩と呼ばれるコブです。
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階段を登っていくと、
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山頂が見えてきました。
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山頂に着きました。
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氷ノ山は一等三角点の山です。
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この三角点はやや兵庫県側にあります。
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兵庫県側の避難小屋です。養父市(旧関宮町)が建てました。
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こちらは鳥取県立の避難小屋です。鳥取県立にはトイレも完備されています。

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鳥取県立から養父市立の避難小屋を望みます。
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実は、氷ノ山の山頂が鳥取県に属すか兵庫県に属すかということでもめたことがありました。三角点の位置は兵庫県にありますが、山頂部分は鳥取県と兵庫県で分け合っているようです。

また、地図には氷ノ山(須賀ノ山)と書いてありますが、本来の名前は氷ノ山です。ただ、一時期まちがって、ずっと北にある赤倉山と言う山が氷ノ山と呼ばれ、本来の氷ノ山が須賀ノ山と呼ばれていたこともあるのです。須賀ノ山の須賀は、スサノオノ命のことです。
鳥取県若桜町・兵庫県養父市

氷ノ山からの展望です。大山にはないものがあります。

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氷ノ山2

2011年8月 9日 (火)

中野冠山~一兵山家山(その3)

一兵山家山

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ノベリ山をあとにして、再び気持ちのよい縦走路を歩いていきます。

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しばらく歩くと、東側に開けた場所に出ました。

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ここは、1970年ごろまでは、牧場として牛が飼育されていたのです。

コンクリートの溝の跡も残っています。

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才乙集落の池田橋から、この牧場にいたる谷筋を「ヒツガイケ谷」と呼んでいます。

8歳の安徳天皇を抱いて、壇ノ浦の露と消えた平時子(二位の尼=平清盛の正室)は、実は生き延びて、山里に隠れ住んで生涯を終えたという伝説が、西日本各地に残っています。鳥取市国府町の岡益の石堂は、安徳天皇の御陵参考地となっています。 この才乙(さいおと)地区にも平家の落人伝説があります。この才乙に、安徳天皇と二位の尼一行が落ち延びてきたというのです。 天狗石山と高杉山の鞍部のホン峠に二位の尼をまつる乳母御前神社があります。
この才乙の高杉山の向かいにある中野冠山は、広島・島根にある他の冠山と違って、「かぶり山」と呼ばれていたようです。山の形が冠に見えると言うよりも、高貴な人と関係があったのかもしれません。

先ほど通ったノベリ山は「野辺送り山」のことだったのではないでしょうか。そして、このノベリ山からのびる谷に、「ヒツガイケ谷」があるのですが、これは「棺が行け」ではなかったのでしょうか。高い山で野辺送りをするのは、火葬によるもので、京都の船岡山のように、当時の火葬は高貴な人に行われるものだったのです。 才乙の里から、ヒツガイケ谷を通って、ノベリ山に誰か高貴な人(もしくはその代わり)の棺を運び、ノベリ山で火葬にふしたのではないでしょうか。
ここに、二位の尼(平時子)や安徳天皇がお住まいになったというよりも、平家の落ち武者の一族が、この2人を偲んでいたのかもしれません。あるいは、平家の落ち武者の中に、安徳天皇や二位の尼の役割を演じていた人がいたのかもしれません。 才乙は伝説ロマンの地なのです。

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933mのピークを過ぎたあたりから土塁が現れてきました。この土塁の上に松が生えているので、かなり古いものであることがわかります。この土塁は一兵山家山の前後の県境に沿って延びているので、安芸の国と石見の国の国境を示すものだったのでしょう。

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一兵山家山までの登りです。

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登山道のピークから、左を見ると、土塁の向こうに一兵山家山の山頂が見えます。

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山頂です。

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おなじみ美美さんの登頂記念プレートです。

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ゴミを捨てるような人は山に来ないで下さい。

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山頂から、展望の良いところまで、草が刈ってありました。

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来尾峠に向かって下山していきますが、しばらくは、東に向かって標高900mあまりのところを歩いて行きます。

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一兵山家山から2つめのピークで南に折れますが、足尾林道からの新設の林道が併走しています。

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この林道は、島根県側からのものです。

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土塁の上を歩くところもあります。

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来尾峠に着きました。

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一兵山家山

2011年8月 5日 (金)

中野冠山~一兵山家山(その2)

ノベリ山

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展望のすばらしい中野冠山をあとにします。

山頂からはこれから向かう、ノベリ山、一兵山家山への県境尾根が延びているのがわかります。

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県境稜線出合い(才乙中分かれ)では、まっすぐ進んで行きます。

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県境稜線出合いを少し行くと、まっすぐな県境に沿って、超急下りを降りていきます。

振り返るとこのような感じです。

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県境稜線出合いから、下ること20分。中野冠山から標高差180mを一気に駆け下りて、ヤオノ谷峠(たおのたにたお:標高820m)に着きます。やや広くなった鞍部で、進行方向右手には、ヤオノ谷林道(廃道)が分岐しています。ヤオノ谷林道は、車両の通行は不可能ですが、登山道として歩くことはでき、この峠から、15分もあれば、才乙集落に出ます。中野冠山のみの山行なら、ここから降りればいいのです。

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この尾根沿いに、このようなものをよく見かけます。

市町村界ですが、実際には広島県と島根県の県境を示しています。これから一兵山家山、来尾峠(きたおたお)までの道は、ほぼ県境に沿っています。

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ヤオノ谷峠から再び急登をあがっていきます。

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標高差40mほどあがったところで、平坦な歩きやすい道になります。

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872mピーク付近は、グリーンシャワーの降り注ぐ気持ちのよい縦走路です。

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872mピークから少し降りて、再びノベリ山に向かってゆるやかに駆け上がっていきます。

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この道は、歩きやすく、しかも静かです。

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あたりが明るくなってくるとノベリ山は近いです。

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939mのピークであるノベリ山に着きました。

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ノベリ山からの広島県側(東側)の展望です。ユートピアサイオトスキー場のある高杉山が見えます。

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島根県側の展望です。

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ノベリ山

2011年8月 2日 (火)

中野冠山~一兵山家山(その1)

中野冠山

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中野冠山は、サイオトスキー場から見ると、形の整った山で、広島・島根両県の県境稜線にありながら、独立峰に見えます。

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この山の北側の鞍部は、ヤオノ谷と呼ばれ、この写真の中央部よりやや右にあたります。

この稜線は山頂より約180mも落ち込んでいるので、この山は独立峰に見えるわけです。

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広島・島根両県には多くの「冠山」が存在するため、その土地の地名をつけて呼んでいます。このあたりは、昭和の大合併で芸北町となる前には、中野村と呼ばれていたので、中野冠山というわけです。

ちなみに、広島県には、吉和冠山(廿日市市)、湯来冠山(広島市佐伯区)、久地冠山(広島市安佐北区)、可部冠山(広島市安佐北区・北広島町)、布野冠山(三次市)があり、島根県には、石見冠山(いわみかんざん:邑南町)、田野原冠山(たのはらかんざん:邑南町)、都賀冠山(美郷町)があります。

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ここが登山口の目印となる家です。

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家の間の小道を行くと登山道があります。

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はじめ、オオバコなどの草を踏みしめながら歩きます。

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はじめは、緩やかに登っていきます。

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しかし、高度をあげるにつれて、急登になります。急登の途中に、明らかにツキノワグマのものと思われる糞が落ちており、熊特有のにおいがしました。糞はまだ新しかったので、直前に登山道に熊がいた可能性があります。

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樹林帯を抜けて明るくなると、標高980m地点で、県境稜線に出合います。

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県境稜線出合いで右に行けば、一兵山家山方面に行きます。

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県境稜線出合いから、明るい草尾根を進んで行くと、

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約5分で、中野冠山山頂に着きます。

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中野冠山山頂には360度の素晴らしい展望が広がっています。

東側の展望です。

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南西側の展望です。

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北側の展望です。

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西側の展望です。

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広島・島根両県に存在する「冠山」のほとんどが、遠くから見ると、なだらかな稜線の上に山頂が飛び出して見え、しかも、一方がストンと切れ落ちています。しかし、この中野冠山には、そのような特徴がありません。実は、広島県北広島町(芸北町)と島根県浜田市旭町の地元ではこの山を「大カブリ山」と呼んでいるのです。この山は、木の生えていない禿げ山なので、「禿山(かむろやま)」が訛って、「カブリ山」になったのだと、桑原先生の著書「西中国山地」には記されています。しして、この西側に見える標高916mの山を「小カブリ山」と呼んでいるのです。

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眼下には才乙(さいおと)の谷筋が見えます。

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中野冠山

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